在野可能か在野不可かって
机上かどうか、でないなら
何がこれを決定するのかを
数学板の方々に意見貰いと
例えば
「ボクの考えた最高の宇宙」
とかいうものを語る場
実際の検証は他人にブン投げるなら
そいつはもう物理学者ではなく
宗教家というか預言者
神の子は神。誰も神に上がれない。物理風情が神とは笑わす。
>>9のってさ、弦理論も実証は未来に任せてるよね今実験できないから
しかも弦理論の研究者は沢山いるから宗教家とかでない
なら机上かが在野可能かに絡んでないとなるじゃんか
何が職業的に可能にしてるのかを
まずは
歴史的には数学のが早く物理学のが遅いのは
18世紀までは裁判で偽証が多く、心証と反駁こそが真実の偽証だった
冤罪が今はるかに少ないのが科学的手続きを18世紀に誕生できたからで
科学的手続きとは科学的態度であり
数学には数学手続きは数学的態度であり
古いギリシャには既に証明技法があったことで
哲学は数学手続き数学態度の証明技法により発展が可能となり
数学がない時代なら哲学すら発展しなかった
なら物理学ができた18世紀に物理学以外に哲学に当たる何かもあるとなる
あ、そうか
スレタイテーマの疑問
在野物理学
解決した
数学態度には哲学があり
物理学態度にまだ何もないなら
哲学はそも在野メインで
数学は非在野メインだから
哲学も非在野可能になり
数学も在野可能になってる
それだけだったか
ようするに
まだ学問になってない
哲学に当たる物理学側が
誕生すれば
在野可能かこれが正解か
亜証できる←誕生して可能になっても実証とは限らないから亜証
とりあえず、教科種類(知力種類)について、また一つ判明させて貰えた
数学や医学や地政学や体育を含む6個は理系学問の一つの場所
理系にしろ文系にしろ学問という理屈(確度高める側)を学問で、(確度低めない側)の理屈を哲学、ならびに宗教と教育を合わせた6個の場所
物理学側の何かが何処にあるのかからまだ未知
物理学側の何か
一般のカテゴライズで
数学は理系理屈であり
哲学は人文理屈である
物理学は理系理屈で
当たるのは人文理屈か他理屈か
という所から当てを見つけなきゃいけない
市民哲学
の反対
学校学問
何なのか修辞学
の反対
何なのか何だ?
哲学は教育哲学など哲学と名の付く物が多いのは
哲学という風に名状されて然るある種の知の運動が哲学と名乗れて合ってるのは
その知の運動が、確度低めない、ことの文脈だから名乗れて合ってるわけで
哲学は沢山ある
学問もまた学問という大枠でこれらを擁しこちらもはっきりだ
修辞学は一単元に書いてあるだけ
反対もはっきりでないんだろう
学問も哲学も
修辞学も
名前概念くらいはあったから
対応の方も、名前概念くらいは既出なはず
学問側…主流数学(普通数学)
哲学側…副流数学(メタ数学など?)
修辞学側…副流物理学(非普通)
学際…いや違うかな
学際ではないか
風刺…確かに公的免許のない市民の風刺は取り沙汰されない。ソースなくてファクトチェックでも先入観で没に
修辞学…市民の修辞学も取り沙汰される
数学に在野があるのは
学問は公的免許なくては本来取り沙汰されないのを
哲学が公的免許なくても取り沙汰されるから
学問も哲学も両取りできてる
物理学に在野がないのが
風刺のみで両取りできてないから
修辞を一般化されてなく
風刺のみ一般化されてる
もとい
学問と哲学は両懸垂されてて、されてない潜在顕在がない
修辞と風刺にはされてない潜在顕在があり、不安定状態
だから
数学には証明技法、証明論法があるのが、学問哲学両懸垂による物で
物理学に技法、論法がないのが、修辞風刺懸垂がまだないためか
当然ながら
物理学側の技法、論法を
見つけられたらいいのもある
並びに
物理学者も現在なら在野不可だが
在野可能な解になれば在野可能になるのか
物理学(非在野)の登場にて冤罪が減った
数学(非在野)の登場にて古代に何が変化した?
数学(在野)の解禁により何が変化した?
物理学(在野)の解禁により何が変化する?
追記
数学は学問であるべき、かつ、風刺であるべき←昔から既に学問
物理学も学問であるべき、かつ、風刺であるべき←今はまだ風刺でない
学問と風刺は両方、物理学と数学に入る
数学は哲学と伴にある。数学は修辞学と伴にはない
物理学は修辞学と伴にある。物理学は哲学と伴にない
修辞学と哲学は、物理学と数学の片方だけ
ならば
哲学は学問と伴にはあるが、風刺と伴にはないとなる
修辞学は風刺と伴にはあるが、学問と伴にないとなる
あと
物理学
数学
学問
風刺
哲学
修辞学
あと二つ
あと二つ
穴開きだ
批判的思考って風刺か。学問では為し得ず。風刺しか為し得ず。修辞学側。批判的思考と修辞学。
学問は何思考か
別な感じにインプットアウトプット…学問
別な感じにインプットアウトプット…風刺